Sunday, October 21, 2012

Facebookのコメント

日本の友達はFacebookでブログのコメントをしましたので、ここで複製します:

 言葉の力
Naoya Uemura「言語はツールでしかない、という人もいるけど、俺は絶対そうは思わない」
と留学してた友人が言ってたのを思い出す。

たしかに言語はツールであるのだけど、同時に言語は文化と密接に結びついている。
言語をツールとしてしか見ないのではすごく寂しい気がする。
やっぱり外国語を勉強する中で、見えてくる異文化への理解、
そして自国への内省というものがある。
個人的には日本語という言語がすごく好きだ。

英語が流暢に話せさえすれば外国人と豊かなコミュニケーションができるのか?
外国語に堪能であれば、日本での自分のcharacterを、その国でそのまま表現できるのか?
英語学習の徹底は自文化の軽視と結びついてしまわないか?

その通り/そうでない、とかではなく
闇雲に英語学習をする前に、このへんを一度、考えて見た方が良いと思う。
 
Yoshitaka Miura: 日本全体で英語を勉強していく中で日本文化を忘れていくのか、ということは分からないけど、個人単位でちょっと思うことあるな。

英 語の勉強を始めてからやや性格やコミュニケーションの取り方が変わってきたんだよね。日本で英語に触れてなかったときは、ただ日本の中で通用するコミュニ ケーションの取り方をしてた。でも他の文化の中の行動様式・コミュニケーションの取り方を見て・体験して・自分の中に取り込んでいく中で、このいろいろな ものを取り込んでいくことが自分の思考形態の特徴で、自分自身が持つ文化なんだって思い始めた(^^)
日本文化は好きだけど、自分にとっていいものを取り入れていくことが一番だと感じてる。大勢の人たちにとっての言語と文化は違うかもしれないけど、ちょっと感じたこと書いてみました(^_^)/

Asumi Saito 言語は文化だと思う!
日本語学んでるMexicanがГI learned 11ways to say 'please' in Japanese!」って言っててワロタ(これ前ゆったか?)

つまり文化への理解なくして言語は修得できないとわたしは思うよ。上の方の言うように、言語は思考や行動様式を規定する側面をもつと思う。(構造主義的な。)
だからこそ支配力とかもうまれてくるんじゃないかな。

てことで英語学習の徹底というよりも、国語の不徹底が自文化の軽視に結び付くのでは?(日本人だから簡単に国語と言えるのですが^^;)

Yuki Hayashi モ ントリオールで(クソまずいカナダビール飲みながらw)言ったのはギャップを埋めたいってことやけど、4カ月おったら結局あの時の自分が今も自分の中の大 きな存在としてある。何のために海外見てるかって一つには言語/文化に規定されないほんとの自分を作るためと思ってる。

だから100持ってるもんを英語で80しか出せてない時点で文化以前に闇雲でも勉強すべきやろ。
そ れに文科省が言うなら話は別やけど、個人レベルやったら自文化の軽視なんてマジbullshit. 俺はカナダの文化も自文化やと感じてる。自文化・異文 化って言うより、国境に囚われず経験したいろんな文化を「自分化」出来たとき始めてオリジナル、uniqueな「自」文化が出来上がると思う。
まあその上で言語にも縛られないバイリンガル・マルチリンガルになれたらええな。

Naoya Uemura Yoshitaka Miura たしかに、「日本文化」というものを丸ごと自分の中に受容する必要は無いし、ってか無理だよね多分笑
しょうけいの言うように日本文化、異文化、それぞれを理解した上で自分の中に取り入れていくことがあるべき姿だよな、きっと。
世界で戦える人材になるためにはそのプロセスが必要なんだろうな
 
Naoya Uemura Asumi Saito ワロタw俺でも11通りも知ってるか怪しいわw
そうだよね、俺も英語学習自体が直接自文化の軽視に結びつくとは思わない。
そもそも外国語を通して文化も学べると思ってるからね。
危惧してるのは徹底という施策によって「英語ができさえすれば良い」
と思い文化を軽視するというムードができてしまうこと。

まぁ懸念点の無い完璧な施策なんて無理だから言っても仕方無いのかもしれないけどねー。
なんかこんがらがってしまった申し訳。
 
Naoya Uemura Yuki Hayashi なるほどなるほど。。
カナダでハヤの話を聞いて考えてみて、結局characterはある程度言語に規定されてしまうと考えてたんだけど
つまり"自分"というのは絶対的に存在してて言語/文化に規定されないということ?
それとも言語/文化に規定されない本当の自分に加えて言語によって変化しうる自分があるってことかな。
異文化をも自分化して"自"文化。すごく新鮮。面白い!


いやしかしまずかったなあのビールw
 
Yuki Hayashi あーそんなことも言ってたな!酔ってたしあんま覚えてへんわw

目指すべきところは2つ目が近いかな..
一 括りに自分っつっても、まずmindっていう意味での自分は大いに経験した文化に規定されてると思う。カナダで暮らしたことで日本文化が作り出す独特の人 間性からは抜け出せたかなと感じてるけど、これからいろんなこと経験して、もっと普遍的で文化に囚われない考え方を持ちたいなと思ってる。
反 対に俺が言ってたのはそのcharacterとしての自分で、ここは言語が大きな側面を持ってるけど、考えたらやっぱり俺らの英語レベルじゃ言語自体の違 いとか限界どうこうより運用能力に問題アリってのがほとんどやろw だから単にもっといろんな表現勉強しよーって話になるけど。ただまあ完璧なバイリンガルでも、characterの部分の自分はある程度言語に規定され ちゃうとは思うよ。

ハイコンテキストとローコンテキスト
Yasuyuki Mayumi Hayakawaローコンとハイコンのブログにコメント書きましたが、送り方がわかんなくて・・・ううう~んパソコンについてゆけない(涙)ローコンとハイコン面白く読みました。 

Nana Mariko すてき!私もブログ書いてるよ(*´∇`*)
 

1 comment:

  1. 色々な人がコメントをくれていますね!それぞれ面白い意見ですね!

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